わざわざこんな辺鄙なページまで見てくれるなんて、さてはあなた、神様ですね?
ここはこのサイトを作っているぼくの人とナリを赤裸々に綴っているページです
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自己紹介
略歴
室蘭生まれ室蘭育ち、高校卒業後室蘭を出て恵庭の大学へ進学し、札幌で就職。JTB北海道⇒放浪⇒派遣で日銭稼ぎ⇒北海道じゃらんと社会人生活を送り、2018年に個人事業主として独立。今は北海道じゃらんの社外編集者兼ライター、北海道Likersのフォトライターとしてお仕事をいただきながら、室蘭への移住を進めています。
見た目
・天パ(細め少なめ)
・ヒゲ(あご)
・彫り深め(眉太め)
これまでの人生
1982年~ 誕生
室蘭市で生まれ、両親と妹、隣にすんでいた祖父母の3世代で生活。
丸坊主でとてもかわいい子供でした。
1990年~ 幼少期
高砂小・東明中・栄高と幼少期を室蘭で過ごし、習い事は小さいころに水泳・習字・体操。33歳まではロンダートからのバック転ならできました、今は不安。
小学校高学年くらいで、スラムダンクとNBAのマイケル・ジョーダンにインスパイアされ、まんまとバスケ部に入部。試合にはなかなか出れず、ベンチを熱心に温める。
高校入学直前にバスケで右足首の靭帯を断裂し、腐り、麻雀を覚える。学力試験の後、教室の机に毛布を引き雀卓にして打っていたのも、今となってはいい思い出。
2002年4月~ 青年期
恵庭の北海道文教大学に進学(当時3期目)し、なんかよくわからない国だし、これからキそうと、先見の明にあふれる理由で中国語(北京語)を専攻。
大学2年の際、姉妹校である中国陝西省西安市「西安外国語学院」へ交換留学の権利を得て大陸に初上陸。
留学期間は1年間の予定でしたが、日本でも話題になっていた新型肺炎「SARS」が流行したため、大学側から強制帰国の憂き目に遭い、帰国後も2週間の自宅待機を命じられました。
ちなみにSARSに関して、現地では毎朝漢方のお茶が配られていたり、住んでいた部屋には(おそらく消毒のため)酢酸を毎日噴霧され、しっとりと暮らしていました。
2006年4月~ そして社会へ
大学卒業後、株式会社JTB(当時)にギャンブル枠(人事担当にヒアリング済み)で就職。法人営業職として、思ってもみなかった寺院(曹洞宗)への営業を担当し、社会の奥深さを知る。花形のイメージがある「添乗員」は、ほとんどの場合外部委託なのであります。それでも何度か修学旅行のサブ添乗や自分で受注した団体参拝などに添乗してきました。
2008年5月~ ちょっと寄り道
2年後、25歳で退職し、「今なら行ける、今行かなくては」と世界一周へ。西回りで香港から12か国を回り、インドでは子供たちと遊んでいるときにガンジス川の水が肺に入り、無事肺炎で入院するという、なかなかスリリングな体験をしました。あの頃に戻れるなら、「世界一周券使わずに行った方がおもしろいかもしれないぜ?」と、言ってやりたい。
旅の途中で大学の先輩が結婚することになったことを機に半年間で帰国。
ペルーで会った女の子が、室蘭におもしろい知り合いがいる、と紹介してくれたM川さんと室蘭で出合い、室蘭の測量山から天ぷら油のエネルギーで光の柱を立てるという「光のアートプロジェクト」に参加させてもらいました。
その後、旅でお金をだいぶ使っていたので、割の良い派遣を求め札幌へ。
2009年10月~ 再び会社員に
日雇いの派遣、スーパーホテルの新店舗立ち上げなど、高時給の派遣を転々としていた折、「ケイコとマナブ」というリクルート系列の会社の派遣の時給(確か1400円)につられ申し込んだところ、「ケイマナは既に締め切ったみたいだけど、じゃらんっていう会社が会ってみたいと言ってるがどう?」とご紹介いただき、同じ営業職で時給も同じだというので面接。こうしてじゃらんにヌルッと入り込みました。
じゃらんという雑誌も、宿予約サイトのじゃらんnetも使ったことが無かったので、不安ではありましたが、担当エリアが富良野だったこともあり、「北の国から」フリークの僕はそれなりにお客さんにもかわいがってもらいながら、週4~5で富良野という生活を満喫していました。
2011年12月~ じゃらん編集部に異動
編集部で退職者が出た補填として、当時としては珍しく営業部から編集部に異動の辞令を受け、愛する富良野を離れました。それまで営業職しかやったことがなかった身としては、常々編集部はなんとなくキャピついて見えていました。あの頃に戻れるなら、「そんなわけねえだろ」と吐き捨ててやりたい。
そんなこんなで編集部で7年半、記事・タイアップ・純広告・パンフレットなどの制作に携わらせてもらいました。昨今騒がれてますが、ご多分に漏れず労働時間問題は根深いところなので、精神的にも肉体的にもしんどい時が結構あった気がします。多分僕は自分が成長できていそうなら、しんどいのは嫌いじゃないんだと思います。だからこそ編集者のスキルを室蘭で生かしたくなりました。
2018年4月~ 個人事業主 BROCKEN(屋号)
3月末でじゃらんを退職し、フリーランスとして個人事業主に。自分が今できることや、これから先の成長、家族のこと、故郷室蘭のこと、お金、地球の未来など、いろんなことを考えた結果の退職でした。仕事の内容や人間関係がイヤで辞めるわけではないことが、とてもありがたいなあと思っています。
しばらくは札幌で地固めしながら室蘭の拠点(家)を作って移住を決め込み、まだ室蘭にないものや、実はあるけどまだ知られていない、当たり前だと思われているものに、観光資源としての価値を生み出せる人間を目指すようです、多分。
2018年11月~ 室蘭市地域おこし協力隊委嘱
そんなこんなでじゃらん時代にお世話になっていた室蘭の観光協会や市役所、地元企業の方の導きによる縁があり、地域おこし協力隊(長いのでちきおこと呼ぶ)として室蘭へ。ちきおことして勤務させてもらいつつ個人事業も副業としてみとめてもらい、がちゃがちゃと活動。商品開発や道の駅売店の売り場改善と売れる化促進、未開のアウトドアフィールドを活用したキャンプイベント「ムロランワンパク」開催など、地域のみなさんと一緒に室蘭の魅力発信を行なっています。
2021年4月~ 室蘭を拠点に事業開始
2021年3月でちきおこは任期満了。コロナビールスが跋扈する混沌の坩堝の最中、個人で身を立てていく緊張感満点の展開。どーすんの!!がんばるしかないの!!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
引き続き小市民の悲喜コモゴモをお楽しみください
佐藤大輔